2002年 アルゼンチン ブラジルの旅 1 (アルゼンチン1)
2002年7月10日~7月31日 Narita→Canada,Toronto→Brasil,Sao Paulo⇔Argentina,Buenos Aires→Iguacu→
 Rio de Janeiro→Brasilia→Manaus→Sao Paulo→Canada,Toronto→Japan,Narita
 現地の日本人会の紹介で、在アルゼンチン日本大使館、広報文化センターでの展示となった。
 
   7月13日 (土) よい天気なので五月広場に行ってみることにした。フロリダ
 通りを歩き、左に折れる。ここは南米のパリと言われる程、通りは
 整然と区画され、分かりやすい。公園入口付近には沢山の鳩。
 人々の肩や腕に止まって、みんな写真を撮っている。すぐそばに
 鳩の豆売りがいるのだ。7月9日大通りのオベリスコまで歩く
 ことにした。1ブロックも行かないうちに、二人ずれの男女に声を
 かけられた。しきりに何とか言っている。妻が私のコートの背を
 見て、急に腕を掴んで歩を速めた。女がティッシュを差し出す。
 持ってるからと、それ以上近づけさせなかった。妻のコートの背にも
 
 灰色の滴。彼らにかけられたと思い、用心した。マスタードやケチャップをかけて、拭くようなふりをして、
 バッグをひったくると本にあった。すれ違った男性が「鳩か?」と声をかけた。確かに鳩の糞のような灰色だ。
 だが糞とは明らかに違う、何かスプレー液のようだ。それにしても巧妙だ。足音もしなければプッシュ音も
 聞こえなかった。ホテルに戻った。フロントもボーイさんも「何か、盗られなかったか」と気遣ってくれた。
 すぐクリーニングに出して部屋で小休止。
 展示に来てくれた日本人が、話した事を急に思い出した。「1ドル1ペソが、去年の12月、突然3.5ペソに
 なったこと、銀行から現金が引き出せず、日常は小切手が使われていること、地域だけのお金があること、
 最後に人心が暗いから気を付けて」
 
 
     7月13日 (土) タンゴ ショーに出掛けた。「エル ビエホ アルマセン」、開演は22時。飲み物のみ、二人で130ペソ(3900円)。
 ステージは左から、ピアノ、コントラバス。第一バンドネオン、第二バンドネオン、そして第二バイオリン、第一バイオリン。
 ダンサーは黒い衣装の男女3組。女性が両足揃えて引きずられたり、足を曲げて絡んだり、目を閉じて濃厚に全身を
 泳がせたり、パッと高く蹴上げたり。支える男性もきびきびと動く。振付が独特だ。タンゴはめりはりの効いた独特の
 ステップという認識はあったが、間近に見て、格闘技のように勢いがある。「合わない相手だと、向こう脛を蹴とばされる
 かもねー」と妻に耳打ち。中程で「カミニート」のソロがあった。会場が声を合わせた。うーん、いい曲だ。
 ラ クンパルシータのステップは物凄く速い。バンドネオンの老練な弾きもよかった。
 
 
   7月14日 (日) 10時に昨日約束したレコード店に行った。閉まっている。今日は休み?
 それとも11時開店?フロリダ通りをサン マルティン公園まで歩く。
 相変わらず男達が通りに向かって、カンビオ、カンビオと騒がしい。
 公園入口にサン マルティン将軍の像があった。常緑樹の木立を縫って
 冬の陽を浴びてそぞろ歩く。
 再びレコード店に。通りまでサウンドが響いている。あっ開いている。
 一人の青年が店番をしていた。昨日話した人はいなかった。「カミニート」
 の歌詞が知りたいと言うと、青年はうなづいた。カミニートのCDを
 かけると、狭い店内から通りまで、いっぱいに響いた。聞きながら彼は
 素早くコンピューターに歌詞を打ち込んでゆく。3回くらい繰り返し、
 
 最後にもう一度かけて、歌詞を確認した。プリンターでコピーして差し出した。あまりの見事な手さばきに
 あっけにとられた。お金を払おうとしたら、断られた。そこでタンゴのCDを5枚買った。
 店を出る時、妻が展示のカードを渡すと大いに喜んでくれた。今回のタイトルは「カミニート」、大きく書いた
 古代文字は「道」。
 
 
 
 |  |  |  |